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東京地方裁判所八王子支部 昭和38年(ワ)607号 判決

原告 中島徹

右訴訟代理人弁護士 渡辺忠雄

右訴訟復代理人弁護士 松本包寿

被告 横河時介

〈他一〇名〉

右被告ら一一名訴訟代理人弁護士 池田光四郎

同 畠山国重

同 鍵尾丞治

同 中村生秀

被告 大和証券株式会社

右訴訟代理人弁護士 長尾章

同 渡辺留吉

被告 野村証券株式会社

右訴訟代理人弁護士 大橋光雄

同 吉田昂

同 小野道久

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

(一)  被告らは、株式会社横河電機製作所(以下「横河電機」という)に対し、各自金一億五二〇〇万円および各内金二〇〇〇万円に対する昭和三八年一二月三〇日から、各内金一億三二〇〇万円に対する昭和三九年七月一七日から、それぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決。

二、被告ら

主文同旨の判決。

第二、請求原因

一、被告大和証券株式会社、同野村証券株式会社(以下「被告両証券会社」という)を除く被告ら(以下「被告横河ら一一名」という)は、昭和三七年二月二七日開かれた横河電機の取締役会に取締役として出席し、同会社の新株式(記名式額面普通株式、一株の金額五〇円)三〇〇〇万株を発行してそのうち二〇〇万株を公募する旨を決議し、さらに同年六月二六日の取締役会で、右二〇〇万株を一株三九〇円の発行価額で被告両証券会社に一〇〇万株あて買取引受させ、同被告らに引受手数料として一株につき金一〇円を交付することを決議したうえ、同日右被告らとの間で別紙契約証書(写)記載の買取引受契約を結んだ。

被告両証券会社は、右契約に従い、申込期日である昭和三七年七月九日に、各一〇〇万株の新株申込証を取扱銀行に提出し、かつ一株金三九〇円の割合による払込をして、同月一一日に各一〇〇万株の株主となった。

二、ところで、右買取引受契約は、株主以外の者である被告両証券会社に新株引受権を与えるものであるから、横河電機は、商法第二八〇条の二第二項(昭和四一年六月一四日法律八三号による改正以前のもの、以下同じ)による株主総会の決議を経なければならないのに、被告横河ら一一名は、右総会の決議を経ることなく、前記取締役会の決議だけで本件新株を発行した。

三、右取締役会の決議をした昭和三七年六月二六日における横河電機の株式の東京証券取引所での引値は、一株四五六円であるのに、右新株の発行、引受価額は一株三九〇円であり、さらに、引受手数料の名目で一株につき金一〇円が被告両証券会社に交付されている。したがって、実質引受価額は一株三八〇円であり、時価よりも一株につき七六円も低い右発行、引受価額は、著しく不公正な価額である。

しこうして、公正な価額とは、横河電機のように証券取引所に上場されている株式については、発行価額を決定する日、あるいは買取引受契約成立の日(引受期日)における証券取引所に表われた株価でなげればならない。何となれば、ほんらい株価の動向を正確に予測することは不可能であるがゆえに、右時点における時価こそは需給関係をもっとも客観的に示しているといえるからである。

四、被告横河ら一一名は、右第二項の法令違反行為により、横河電機に対し、前記時価と実質引受価額との差額一株金七六円に引受株数二〇〇万を乗じた金一億五二〇〇万円の損害を与えたから、同被告らは、商法第二六六条第一項第五号に基づき、横河電機に対し、連帯して右損害を賠償する義務がある。

五、被告両証券会社は、被告横河ら一一名を教唆、指導して、前記法令違反行為をなさしめたのであるが、このような者にも商法第二六六条が類推適用されるものと解する。したがって、被告両証券会社は、横河電機に対し、連帯して、前記金一億五二〇〇万円の損害を賠償する義務がある。

六、原告は、昭和三六年三月一五日訴外木嶋正邦から横河電機の株式一〇〇株を譲受けた株主であり、昭和三八年一〇月三日横河電機に到達の書面をもって、被告らに対し右第四、五項の金員の支払を求める訴を提起するよう請求したが、横河電機は、その後三〇日以内に右訴を提起しない。

七、よって、原告は、商法第二六七条第二項に従い、被告らに対し、連帯して、金一億五二〇〇万円および内金二〇〇〇万円に対する右払込期日の後にして支払義務発生(払込期日の翌日)の後である昭和三八年一二月三〇日から、内金一億三二〇〇万円に対する右支払義務発生の後である昭和三九年七月一七日から、それぞれ完済まで年五分の割合による遅延損害金を横河電機が支払うことを求める。

第三、請求原因に対する答弁と被告らの主張

一、請求原因第一項の事実のうち、被告両証券会社が各一〇〇万株の株主となったことを否認し、その他の事実は認める。

二、同第二項の事実のうち、横河電機が主張の手続を経ていないことは認めるが、その他を争う。

本件の買取引受契約は、株式会社が新株を発行するに際し、株主公募の方法として、証券会社に株主募集の取扱を委託し、公募に対する株式申込の勧誘を担当させるとともに、募集残株がある場合、証券会社にこれを引受ける義務を負わせること(証券取引法第二条第八項第六号の有価証券募集の取扱と、同項第四号の有価証券の引受「同条第六項中の、他に有価証券を取得する者がない場合にその残部を取得する、に該当する」をなさしめること)を約する契約であり、被告両証券会社は、自ら株式を保有するためではなく、証券取引法に基く業務としてこれをなしたものに過ぎないから、新株引受権を付与されたものではない。そして、右契約にあたっては、新株の売出要項が定められ、これに従って証券会社が新株を売出すことを約しているが、右要項によれば、売出期間は新株の払込期日前であり、売出価額は発行価額と同一であって、総額引受すなわち証券会社が一たん一括引受により新株の発行を完了させておいて、新株の効力発生後適当な時に証券会社が自由にかつその責任において株式を売出す関係とは性質を異にするものである。

もっとも、買取引受の場合、株式申込証の申込人欄には、募集を取扱った証券会社の名を記載しているが、このゆえをもって証券会社をして当該新株の原始株主となすのは妥当でなく、応募者が当初より株式の所有権を原始的に取得するのである。この場合、証券会社は、応募者のために、その代理人として自己の名を記載しているのであって、その効果は本人である応募者に生じているのであるから、証券会社名義で申込をしていても、買取引受の実質が募集の取扱であることに変りはないからである。

ところで、証券会社の名をもって株式申込証を作成することとしたのは、募集事務簡素化の一方便であって、この点にこそ買取引受の実際的意義がある。何となれば、不特定多数の応募者が各自その名義で新株を引受けるとすれば、これら名義の株券の調製が長引き、交付が遅れるが(株主平等の原則の関係上、公募分のみならず、株主割当分についても、株券の交付が一〇日以上遅れることになる。)このことは、投資の回収を遅らしめ、投資者に損失を与えるのみならず、ひいては、株式投資により資金調達をはかる発行会社にとっても得策でない。ところが、これらの者の株式を証券会社名義で引受けるならば、株券は払込期日前に調製することができ、払込期日後間もなく交付することが可能になるからである。かようにして、本件においても、被告両証券会社が、横河電機の株主名簿に株主として記載され、また発行される株券にその名が記載され、これを応募者に交付する場合に裏書譲渡の形式をとってはいるが、これらは、応募者に代り右被告らの名において株式申込証による申込、払込をした当然の結果であり、単なる形式上の措置に過ぎず、真の株主は当初より応募者なのである。

なお、このことは、有価証券の募集もしくは売出をなす場合には、発行者は当該有価証券に関し大蔵大臣に届出をしなければならないが(証券取引法第四条)、本件のように買取引受により新株を発行する場合には、売出のための届出書を提出するのではなく、募集のための届出書を提出することとされていること、応募者の払込に対して、被告両証券会社が「株券預り証」を交付していること、また右被告らは、通常の株式売買の場合のように、応募者から売買委託手数料を徴することなく、かえって、発行会社である横河電機から一株につき金一〇円の引受手数料を取得していることからしても明らかである。

また、募集残株が生じた場合のことにつき、買取引受契約書の文言上は明らかでないが、証券会社が右残株を引受ける義務のあることは、新株の募集を委託された当然の結果として、暗黙のうちに約定されているのである。したがって、買取引受契約に基き応募のあった分についていえば、原始株主は応募者であって証券会社ではないから、右契約が証券会社に新株引受権を付与するものというのは誤りであり、募集残株については、証券会社が最後に引受人となるのみならず、これは、証券会社の義務であって権利ではないから、優先して新株の割当を受ける権利(新株引受権)とは性質を異にする。換言すれば、証券会社の残株引受は、これにより新株発行を保証することにあるから、これは証券会社の片面的義務であって発行会社はこれに対し割当の義務を負うものではない。

要するに、本件買取引受契約は、証券会社を通じて申込をなす一般応募者に対し新株引受権を与えたものでもなく、証券会社に対しそれを与えたものでもないのであるから、商法第二八〇条ノ二第二項違反の問題を生じないのである。

三、同第三項の事実のうち、株式引値、発行、引受価額、被告両証券会社の交付を受けた手数料が、いずれも主張の額であることは認めるが、その他を否認する。

本件新株の発行が、被告両証券会社に新株引受権を付与するものでないことは前述のとおりであるが、仮にそうでないとしても、右新株の発行は、次のとおり公正価額によるものである。

(一)  一般に「発行価額」の決定にあたっては、発行価額を高くし過ぎると、新株の募集が困難となり、ひいては増資が不成功に終る恐れがあるとともに、他面これを低くし過ぎると、募集は容易になるが、発行会社の資金調達が低額に押えられることになるので、これらの相反する二つの要請を調和せしめることがその本旨となる。

(二)  したがって、新株の完全消化可能性ということが一つの眼目となるわけであるが、新株募集を可能にするためには、当然発行価額が新株券交付日における株価より低額であることを要する点で、該期日における株価が重要な意義をもって来る。ところが、現実には、新株募集については、取締役会の発行価額決定後、証券取引法に基く届出の手続等のために、約一四日ないし二〇日間を要するところから、発行価額の決定にあたっては、その決定時点より一四日ないし二〇日間先の新株券交付日における株価を予想し、これを発行価額決定の重要な一つの基準とすることになる。

(三)  さらに、右は発行新株が流通過程に入る以前の発行段階における価額であるが、現実の流通市場における株価がその需給関係によって形成されるのと異なり、新株の発行があると、大量の株式の新規供給がなされる結果、株価構成が根底から崩れることになる。この意味から、発行会社の業績、資産内容、発行される新株の数、発行後の株式の利回り、株価収益率等発行後の株式の実質的価値をも考慮する必要がある。

(四)  かくして、具体的には、公募新株の価額決定の直近時の終値、最近一週間の終値平均および最近一ケ月間の終値平均の三者を単純平均し(前記公募価額決定から株券交付までの期間における株価の変動を予測し、なるべく客観性のある価額を得るため)、これから払込の時期によって生ずる新旧株の配当差を調整して得られた価額を基準とし(払込期日が、新旧株に配当金の差を生ずべき中間期にあたっている場合には、新株については配当差を差引いて修正する必要がある)、さらにこれから一〇ないし一五パーセント程度を減額して(前記のとおり公募価額決定後、株券上場までに日数を要し、その間、株価は市場一般の動向、当該企業の業績、新株数の多寡等の諸要因により変動するものであるから、これを総合して修正する必要がある)、募集可能な範囲ででき得るかぎり高い価額を定めるという理念のもとに決定されている。

(五)  ところで、横河電機の本件新株発行は、以上のような価額決定方法に則り、公募価額を決定したものである。

すなわち、発行価額の決定は、発行会社取締役会の専決事項ではあるが、証券市場の現状、見通し、募集可能性、株価予測等高度の専門的知識を必要とするため、発行会社は証券会社の意見を参考に徴するのを通例としているが、本件においては、被告両証券会社が、昭和三七年六月二五日横河電機に対して発行価額は一株三八〇円ないし三九〇円とするのが妥当である旨具申し、同月二六日横河電機の取締役会は右価額を参考として公募価額を一株三九〇円とする旨決定した。しこうして、被告両証券会社が右意見を具申するに至った根拠は次のとおりである。

1. まず、前記(四)による一応の目安としての基準額は、(1)決定の直近日(昭和三七年六月二三日―二四日は日曜日)の終値が四六一円、(2)決定直近日前一週間(同年六月一八日から同月二三日まで)の終値平均が四五九円五〇銭、(3)決定直近日前一ケ月間(同年五月二四日から同年六月二三日まで)の終値平均が四三四円一一銭であり、この三者を単純平均すると四五一円五四銭となり、これから更に新株式の払込期日が期中であったから配当差二円〇四銭を差引くと四四九円五〇銭となった。

2. さらに、株価変動を予測し、これを発行価額決定にあたって考慮しなければならないが、これには、

イ、株式市況の現状、見通しについて国際、国内両経済面からの検討の結果、国際収支については昭和三六年一月に黒字拡大となったが、これに対しては日銀の警戒論が出される等楽観を許さない状態にあったし、他方、同年一〇月以降公定歩合の引上げをはじめとする一連の金融引締め政策がとられ、景気調整策が滲透するにつれて、産業界では金融逼迫、生産の低下に伴う業績悪化が表面化していたにもかかわらず、なお根強い設備投資意欲のため増資希望は依然として旺盛であった。しかし、これが株式供給過剰を生み、株価を圧迫する要因となり、さらには株式市場資金の枯渇により希望通り増資を遂行することが困難となり、いわゆる「増資調整」が行なわれるという状態であったこと。

ロ、横河電機の当時の株価動向、ことに過去における下落率について、過去七年間毎年二回程度一ケ月以内の期間に一〇パーセントを超える下落がみられ、昭和三七年三月一四日には六〇六円となったが、これは一ケ月以内の期間に一九・八パーセント下落したことになり、さらに同年三月二八日の権利落後も下落を続け、同年四月一八日には三五二円となったこともあったことや、公募株の消化可能性を予想するうえで参考とすべき過去の売買出来高は、昭和三七年一月から同年五月まで一日平均一八万五〇〇〇株、同年六月一日から二三日まで一日平均四六万八〇〇〇株であったのに比し、本件公募株数二〇〇万株は大量であり、これを売出期間内に消化するためには、発行価額を相当程度低く定める必要があるものと予想されたこと。

ハ、横河電機の利回り、株価収益率が相当低くなるものと予想されたこと。

等を修正要因として考慮した。

3. そこで次の三点に基準をおいた。

イ、前記基準価額から最低一〇パーセントの値引をする必要のあること。

ロ、決定日前一ケ月間の最安値より低く決めること。

ハ、右期間中の株価変動率より値引率を大きくすること。

右によると、前記1.により一応の基準価額は四四九円五〇銭であるから、その一〇パーセント引は四〇四円五五銭となり、過去一ケ月間の安値は昭和三七年五月二四日の四〇六円、株価変動率は一二三一パーセント(高値は昭和三七年六月二二日の四六三円、安値は同年五月二四日の四〇六円)で、右四四九円五〇銭の一二・三一パーセント引は三九四円一七銭となり、公募価額は三九四円以下にすべきであるという大体の方針が立った。そして、右2.における諸要因が悲観的であったので、これらを勘案して、結局公募価額は三八〇円ないし三九〇円とするのが妥当であるとの結論に達した。

(六)  なお、被告横河ら一一名は、横河電機独自の立場から、右(五)1.の(2)、(3)の基準額に加え、さらに権利落後の昭和三七年三月二八日から同年六月二三日までの終値平均四〇六円〇五銭を求め、これら三者の単純平均額四三三円二二銭を基準価額とし、その一〇パーセント引三八九円九〇銭を算出して、これを発行価額決定の資料とした。

(七)  横河電機は、被告両証券会社の以上のような意見を検討し、昭和三七年六月二六日の公募条件決定の取締役会で公募価額を三九〇円と決定し、これを有価証券届出書の訂正届出書に記載して大蔵省に提出し、同庁もこれを受理した。

(八)  したがって、以上の公募価額決定の根拠ないし経過によれば、原告が、決定時における取引所の株価を基準として、発行価額がそれを下回る限り不公正なる発行価額であると主張し、あるいは決定後の株価上昇の事実を捉えて「著しく不公正」なりと主張するのは、いずれも右の新株発行における問題の本質を無視するものであって失当である。

(九)  また、発行会社は、証券会社と買取引受契約を締結するに際し、引受手数料の支払を約束するが、引受手数料は、証券会社に募集の取扱をさせたことに対する報酬であって、株式の発行価額とは全く別個のものである。したがって、原告が、本件における引受手数料を株価不公正の一要素のごとく主張しているのも誤りである。

四、同第四項の事実は争う。

(一)  本件公募新株の発行は、前記のとおり公正価額によるものであり、横河電機に何らの損害を蒙らせていないから、被告横河ら一一名に商法第二六六条第一項第五号による責任を生ずるいわれはない。

1. 公募価額が、決定時における旧株の市場価額より低位である場合、その差額が会社の損害なりや否やを考察するにあたっては、公募価額が公正妥当なる価額である限り、その差額を損害なりとすべきではない。そうでないと、公募価額決定の理念、すなわち募集可能な範囲内において高価額であるべしとする理念に反するからである。

そして、公募の発行価額決定にあたっては、前述のとおり、諸要素を分析判断して定めるものであるが、結局応募が安全確実に行われるためには、一般応募者に損をかけないように特に留意する必要があるから、価額低落に対する危険度を重視することは理の当然であり、証券界多年の慣行実例も、大蔵省の指導も、発行価額決定時の株価より一〇ないし一五パーセント低い価額範囲内で定めることになっているところ、本件の場合発行価額は、決定時の株価四五六円より一五パーセント以内の値引価額である三九〇円に定められたものであるから、公正妥当な発行価額であることは明らかである。

2. なお、原告は、横河電機が被告両証券会社に交付した一株当り金一〇円の公募取扱手数料について非難し、これを発行価額の実質上の減額であると主張するが、右は公募のための正規の取扱手数料であって、これが手数料を支払うことにより、横河電機は、被告両証券会社の責任とその負担において煩雑な公募事務を容易かつ円滑に遂行し得たものであるから、利益こそ受けておれ、何らの不利益を受けていないのである。したがって、原告の右所論は失当である。

(二)  本件新株の発行は、商法第二八〇条ノ二第二項に違反していないし、また横河電機に何らの損害をも豪らしめていないことは前述のとおりであるが、さらに、被告横河ら一一名には、右会社に損害を加えるというような認識もなく、何らの過失もなかったものである。

1. 被告横河ら一一名は、昭和三七年六月二六日の取締役会において、被告両証券会社の意見を徴して、公募価額を一株につき三九〇円と定め、公募を右両証券会社に取扱わせることとし、即日その旨証券取引法上の所轄官庁である大蔵省理財局経済課に報告してその諒解を得るとともに、前記買取引受契約を結び、同年六月二九日右経済課に有価証券届出書の訂正届出書を提出し、受理せられて、公募価額、公募方法等が確定し、同年七月三日付日本経済新聞紙上に公募新株の売出期間、応募希望者は右両証券会社に申し出ずべきこと等を公告し、もって一般大衆に周知せしめて右公募事務の円滑なる遂行に留意し、右両証券会社をして同月九日応募者に代り公募株式の払込金額全部を払込ませたものである。

2. およそ、会社経営者が増資を図る場合、額面以上の発行価額による一部公募により会社の収入増を考慮するであろうが、公募が成功すれば、会社に株主割当の場合よりも多額な金員の収入をもたらし、会社のため利益であることは明らかであるかわりに、もし公募が失敗に終れば、増資の一部未了を残し、会社は、信を天下に失ない、かつ資金繰りに重大なる蹉跌を来たし、有形無形の甚大なる損失を蒙ることになる。しこうして、増資は、証券市場の動きを無視しては到底なされ得ないが、本件のごとき大量増資の場合は、はたして証券市場に如何なる影響を与えるかを慎重に判断したうえでなされなければならない。そうであるがゆえに、公募実行の場合は、証券市場に対し大なる影響力を有し、公募取扱の専門業者として多年に亘り幾多の経験をもち、かつ証券取引法上の所轄官庁たる大蔵省との協議や多年の実験慣行に基き豊富な知識を有する大証券会社の具体的な意見を徴し、大蔵省の承認を得た発行価額、発行方法により公募することが最も安全であり、最良の方法とされるのである。被告横河ら一一名は、これを信じて実行し、横河電機に多大な収入を与えたものであって、横河電機のためを思えばこそすれ、同会社に損害を加えるような認識はごうもなかったものである。加えて、右被告らがかく信じ、実行したことにつき、何らの過失もなかったことは、右の実情に照し明らかである。

五、同第五項は争う。

六、同第六項の事実については、被告横河ら一一名はこれを認め、被告両証券会社は不知。

第四、被告らの主張に対する原告の反論

本件発行価額の決定について、被告両証券会社が採用したという被告らの主張第三項の(四)、(五)における算定方法と、被告横河ら一一名が採用したという同項の(六)における算定方法との間には、相互に矛盾がある。この事実をもってしても、本件発行価額が著しく不公正なものであることは明らかである。

第五、証拠〈省略〉

理由

一、〈証拠〉によると、請求原因第六項の事実を認めることができる(右は被告横河ら一一名との間では争いがない)。

二、本件の買取引受契約が被告両証券会社に対し新株引受権を付与したものかどうかについて

(一)  被告横河ら一一名が、昭和三七年二月二七日に開かれた横河電機の取締役会に取締役として出席し、同会社の新株式(記名式額面普通株式、一株の金額五〇円)三〇〇〇万株を発行してそのうち二〇〇万株を公募する旨を決議し、さらに、同年六月二六日の取締役会で、右二〇〇万株を一株三九〇円の発行価額で被告両証券会社に一〇〇万株あて買取引受させ、同被告らに引受手数料として一株につき金一〇円を交付することを決議したうえ、同日右被告らとの間で別紙契約証書(写)記載の買取引受契約を締結したこと、被告両証券会社は、右契約に従い、申込期日である同年七月九日に同被告ら名義の各一〇〇株の新株申込証を取扱銀行に提出し、かつ一株金三九〇円の割合による払込をしたことは当事者間に争いがない。なお、右の各申込に対し割当がなされたことは、弁論の全趣旨により明らかである。

(二)  また、右各一〇〇万株の新株について、横河電機の株主名簿および発行された株券には、右被告ら各証券会社の名が記載され、株券を一般応募者に交付するには裏書譲渡の形式によったことは、被告らの自陳して争わないところである。

三、そこで、前項の事実関係のもとにおいては、横河電機は、被告両証券会社に対し他の者に優先して新株を引受ける権利すなわち新株引受権を与えたものというべきである。

被告らは、右買取引受契約の実質的機能に着目すれば、被告両証券会社は、単なる公募事務の取扱者に過ぎないから、これらに対し新株引受権が付与されたものではないと主張するが、右主張は次のとおり採用できない。

(一)  まず、本件の買取引受契約により新株各一〇〇万株の株式引受人となったのは、被告両証券会社と認めるべきであって、これを一般応募者であるとすることはできない。

けだし、株式申込が要式行為とせられ、株式引受行為を確実ならしめることが要求されている趣旨等に照らしてもかように解するのが相当であって、買取引受契約の経済的な目的、機能がどのようなものであっても、これにより法律的な性質までも変るものでないことは勿論であるから、その実質的な機能、性質に着目してことを論ずるとしても、自ら限界があるものといわねばならないからである。〈証拠〉中右認定に反する部分は採用できない。

なお、被告両証券会社は、証券取引法に基く業務としての募集の取扱と引受をなしたに過ぎないと主張するけれども、会社法上の株式引受と証券取引法上の業務行為とが併存し得ないものでもないから、このことは右認定の妨げとならない。そして、被告らの主張するその他の事実があるとしても、いまだ右認定を左右するに足りない。

(二)  さらに、横河電機は、被告両証券会社に対し右新株を割当発行すべき義務を負っているかどうかについて考えてみるのに、これを明確に認定すべき証拠はないけれども、成立に争いがない乙第一号証によると、被告両証券会社は、右各一〇〇万株の買取引受をする義務を負っているものと認められるから(募集残株を生じた場合に、被告両証券会社がこれを引受ける義務を負っていることは、被告らの自陳するところであるが、募集残株に限らず、応募のあった分についても、被告両証券会社が引受人となったものであることは前記認定したところから明らかであるから、募集残株が生じたのみ引受義務があるものとすべき根拠は見出だせない)、かかる場合には、横河電機もまた右割当、発行の義務を負っているものと推認するのが相当である(証券業者が、応募者と売買契約を結んでも、あとで新株を引受けることができなければ、応募者に対し新株を引渡すことができなくなるわけであるから、通常の場合、当事者がかような結果を容認するような内容の契約を締結することはあり得ないと考えられる)。

被告らは、募集残株を生じた場合につき、被告両証券会社にこれを引受ける義務はあっても、その権利はないと主張するが、これに副う〈証拠〉によってもいまだ右事実を認めるに足りず、その他に右のような特段の留保がなされた事実を認めて前段の認定を覆すに足る証拠はない。

四、それならば、本件買取引受契約により、株主以外の第三者である被告両証券会社に新株の引受権が与えられることになるので、被告横河ら一一名は、商法第二八〇条ノ二第二項所定の株主総会の決議を経べきであったのに、かような手続を経ていない(この点は当事者間に争いがない)のであるから、本件公募新株の発行は、右商法の規定に違反した行為である。そして、かような違法な行為により、会社に損害を蒙らせたときは、取締役は連帯して会社に対して損害賠償の責を負うものと解すべきであるから、被告横河ら一一名は、これによって横河電機に損害を豪らせたときは、連帯して損害賠償の責に任ずるものと解するのが相当である。

五、本件公募新株の発行により横河電機が損害を蒙ったかどうかについて

(一)  横河電機の取締役会が、本件公募新株の発行価額につき決議をした昭和三七年六月二六日における同会社株式の東京証券取引所での引値が一株四五六円であったこと、右新株の発行、引受価額は一株三九〇円であり、また引受手数料の名目で一株につき金一〇円が被告両証券会社に交付されたことは、当事者間に争いがない。

(二)  しこうして、〈証拠〉を綜合すると、被告らの主張第三、三の(一)ないし(七)の事実を認めることができる。

(三)  ところで、公募による新株発行を実践するうえで、株式市場における株価変動等による制約を受けること、ことに新株発行の場合には、株式市場に対し新たな供給がなされる結果、従来の需給関係に根本的な変動を生ずる可能性があり、これを無視し得ないことが明らかであるから、右認定事実における本件発行価額算定の方法は、一応合理的な根拠があるものとすることができる。したがって、このような方法と経過により決定された本件発行価額も、他に特段の理由がない限り、一応公正な価額と推認することができる。もとより、発行価額は、個々の事例に応じて具体的に決定されるべき性質のものと考えられるから、右のような算定方法によった場合であっても、なお著しく不公正な発行価額であるとの謗りを免れないこともあろうが、本件においては、かような特段の理由を認めて、右認定を覆すべき証拠はない。

原告は、発行価額を決定する日、あるいは買取引受契約成立の日(引受期日)における証券取引所に表われた株式時価を基準とし、発行価額がこれと一致することを要するとして、決定時以後の株価上昇の事実をもその主張の根拠にするけれども、証券取引所に表われた株価が、当該株式の一応客観的な価額を示すものであるとはいい得ても、公募による新株の発行を前提とする限り、本件における発行価額の算定方法が一応首肯し得るものであることは前述のとおりであるから、原告の右見解は独自のものであるというほかはなく、採用することができない。

また、原告は、被告両証券会社の取得した引受手数料をもって、引受価額不公正の一要素とし、これを発行価額から控除した価額をもって考察の対象とすべきであると主張する。しかしながら、〈証拠〉によると、右手数料は、被告両証券会社に対し横河電機のために新株募集等の事務を処理したことに対する報酬として支払われたものであること、そして、右被告らは、通常の株式の委託取引におけるように応募者から手数料を徴収することはしていないことが認められる。のみならず、弁論の全趣旨によると、横河電機が、本件のような買取引受によることなく、自ら募集事務を行うとするならば、当然そのための経費を必要とするものと認められ、ほんらい同会社がその事務処理のために自ら負担すべきであった経費の一部を、同会社のために事務を処理した被告両証券会社に支払ったに過ぎず、したがって、その部分に関する限り、実質的には同会社にもたらされる収入に変りはないものと認められる。もっとも、募集残株が生じた場合に、被告両証券会社がこれを引受ける義務のあることは、被告らの自認するところであるところ、成立に争いない乙第五一号証ノ二によると、証券会社は一般に引受価額に応じた手数料を取得していることが認められ、また成立に争いない甲第二三号証によると、引受手数料の中に、株価下落に対する一種の危険負担料の含まれている事例のあることが認められるので、これらの事実からすると、本件の引受手数料の内にも、一部右のような危険負担料の含まれていることが考えられないではないが、仮にそうであるとしても、本件引受手数料の金額自体よりみて、結論を左右するほどのものとは考えられない。しこうして、一株につき金一〇円の手数料が不相当に高額なものであることを認めるべき証拠もないから、右手数料の額は相当な範囲内のものであり、結局発行価額とは別個のものといえるから、この点に関する原告の主張もあたらない。

さらに、原告の反論第四については、被告両証券会社の採用した算定方法と、被告横河ら一一名の採用したそれとは、いずれも一応合理的な根拠のあるものということができるうえに、被告横河ら一一名は、被告両証券会社の具申した意見を参考に徴して最終的な決定をしたことは前記認定のとおりであって、すこしく異なった角度から検討を加えたものと見ることができるから、全体としての算定方法には、何ら矛盾があるというにあたらない。

(四)  ところで、公募価額が、決定時における旧株の市場価額より低額である場合においても、公募価額が一応公正な価額と認められる場合には、発行会社に損害を生じたものとすることができない。

けだし、新株の発行が、すみやかにして確実な遂行を要求され、かつ取引行為に準ずべき性質のものであることと、他方、適正な発行価額なるものを想定することの困難であることを併せ考えると、かように解するのを相当とするからである。

六、以上のとおりであって、原告の本訴請求は、損害発生の事実につき証明がないことに帰するから、その余の事項についての判断に立入るまでもなく、全被告に対する請求につきすべて理由がない。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中田早苗 裁判官 滝田董 福島裕)

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